やらなくてもいいゲーム

LEVEL101さんの「エレクトロプランクトン」をトラバさせて頂きます。

3/5PM11:45修正:annoさんから頂いたコメントを見て「能動的」「受動的」の言葉の使い方が少しおかしいと感じたので一部の言葉を修正してます。またいい言葉が見つかれば変更しますが、とりあえずはコレで。

以前「ART MEATS GAMES」のネタで記事を2件(興味のある方はここここ)書きましたが、「エレクトロプランクトン」は実際にART MEATS GAMESをやってしまった感じです。公式サイトを見ても、「触れるアート」というおもむき。

ここでトラバさせて頂いた記事のお話を(以下引用)。
・・・"やらなくてもいいゲーム"の話を思い出します。

「やらなくてすむゲームはないか」
「ゲームはやりたいんだけど、最近やるのがおっくうだ」
「だから、買ってきて、さぁやろうと思ってもやらずにすむゲームはないかなぁ」
この「やらなくてもいいゲーム」という言葉を私は初めて聞きましたが、ゲームのひとつの方向性として「やらなくてもいいゲーム」(私の言葉で言うと「受動的な非強要的操作のゲーム」)という流れがあってもいいのかな?という思いを前々から持っていました。

今、ゲーム産業は踊り場に差し掛かっていて次の一手を模索している状態です。周りには娯楽が溢れていて、ゲームは「テレビ」「携帯電話」「映画」「本」「音楽」といった娯楽と時間の奪い合いをしなければなりません。ゲームがこれら他の娯楽と決定的に違うのは「インタラクティブ性」だと思いますが、この「人に入力(操作)を求める」という行為自体がゲームの最大の武器であり、かつ、最大の弱点でもあるというのが私の考えです。
多くの人はナゼ「テレビ」を見たり「音楽」を聞くのに「ゲーム」はしないのか? 答え(のひとつ)は「面倒」だからでしょう。この「面倒」と感じる理由は人がゲームに対して「能動的」でないといけないから「強制的操作」を求められるからです。「テレビ」や「音楽」は見る・聞くだけでよい(受動的非強制的)なので人に優しい(楽に感じる)のです。上に挙げた他の娯楽も一部操作を必要とするものがありますが、基本的に「あるタイミングでの操作」や「決断を迫られる操作」を求められることはないですよね。人はこれら「能動的強制的な操作」をある面では楽しいと思いつつ、面倒でもあると感じているのです。

そこでひとつの方向性として、「能動的強制的な操作」を排除したゲームを考えることができます。もちろんゲームなのでそれなりに操作は求めますが、「操作したい時に操作すればよい」「その操作によって今後のゲーム展開に決定的な違いが現れない」という「受動的非強制的な操作」に限定することで、人に優しいゲームにするという方向性です。この方向性は他の娯楽と真っ向からバッティングするので埋没してしまう危険性はあるのですが、任天堂などの大手がやるなら注目度も高いのでビジネスとしてアリなんじゃないでしょうか(最後はちょっと現実的なお話ですな)。

なお、これはあくまでひとつの方向性であって、すべてのゲームが受動的非強制的な方向に向かうべきだという意味にはとらないで下さいね。「メテオス」なんかの激しく能動的強制的なゲームもゲームの本質を突いていて、それはそれでスバラシイと思ってます。
あと「受動的非強制的ゲーム」とは別の方向性として、「人生の糧になるゲーム」や「個性を持ったゲーム」という方向性もあると思ってますが、こちらはまた別の機会にでも。
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by nintendods | 2005-03-05 06:11 | STUDY
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