人生の糧になるゲーム

続き記事の最後。この「人生の糧になるゲーム」ってのは結構昔から議論されていることのようです。私は最近になってネット上で知りました。だから今さら私が取り上げることもないかも知れませんが、一応前々回の記事に書いちゃったし、ここを見ている人でこういう議論自体を知らない人もいるだろうからあえて記事にしておきます。なお、基本的には私が思っていることを書いているので必ずしも公での議論とは違うかも知れません(公の議論の内容自体を詳しく知っているワケでは無いので)。

前置きが長くなりました。このサイトを見に来てくれている人の多くはゲームを趣味のひとつとしておられるのではないかと思いますが、初対面の人に「趣味はゲームです」と言える人は何人いるでしょうか? 「趣味は映画です」や「趣味は読書です」とは胸を張って言えるのに、なぜ「趣味はゲームです」とは言えないのか。それはゲームの社会的な地位が低いからと考えられます。何故これほど公に認知されている娯楽でありながら地位が低いのか。「映画」や「本」との違いは何でしょう? そのひとつの答えとして挙げられるのが、(社会的に)「人生の糧(かて)となる」と捉えられているかどうか、です。
映画や本は、それを見ることで人生を豊かにするという側面がありますよね。もちろんそうでない物も存在してますが、社会的にはそういう認知のされ方をしている。しかしゲームはどうでしょうか? 少なくとも社会的には「ゲームをすることで人生の糧になる」という認知のされ方をしていませんよね。以前「MMTV」というサイト(のDr.森川の人間風車というコーナー)で書かれていた内容を思い出します。
ジュースの歴史とゲームの歴史は同じかもしれないとか思う。
その昔、ジュースは子供の飲み物なので、甘くて炭酸が入っていてきれいなだけだった。(中略)しかし、親としてはやっかいな存在だった。過剰な甘さは虫歯や肥満の原因になり、炭酸は食欲をなくし、人工甘味料や合成着色料は健康を害す。(中略)その後どうなったかといえば、ポカリスエットなどのスポーツドリンクが生まれ、それまで健康の敵だったジュースが、健康飲料にイメチェン。(中略)親も安心して子供に与えられるようになったし、大人もユーザーになった。
で、ゲーム。今でもゲームは昔のジュースのポジションにあるような気がする。子供が楽しめることが前提であり、健康の敵で、親の心配の種のままだ。
かなり省略しちゃったので元記事へのリンクも書いておきます(ここ)。ジュースを引き合いに出されており、非常に判りやすい表現になってます。ジュースで言うところの「ポカリスエット」のようなゲームを出すことができれば、一気にゲームの社会的地位も引き上げられる可能性があるんですけどね。「ゲーム」という固定概念を覆すためには、少し違う視点からゲームを見ていってもらうことが必要かも知れません。例えば「教育」「医療」といった分野からのアプローチなど(ポカリスエットも元々は医療用から生まれたんでしたっけね?)。

以上、「やらなくてもいいゲーム」「個性を持ったゲーム」「人生の糧となるゲーム」の3つを紹介しました。私はアプローチが違うだけで、根本的にはこれらのゲームは(大きな意味で)同じ方向性を持っているようにも感じています。その根本的なものを具現化できればゲームとしてはかなりインパクトがあるんじゃないかな?なんて思ってますが、ここから先はもう少し私の頭の中で熟成させて下さい(笑)。いつかお話できる時がくるかな?と思ってます。
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by nintendods | 2005-03-10 09:20 | STUDY
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